まいった^^;
昨日は、モデルさんの撮影を予定していたのですが、強風(風速8-10メートル)という話だったので、中止にしたのだけど、当日になると、さほど風もなさそうでキャンセルした仲間達やモデルさんに申し訳なかった。
やはり屋内撮影と屋外撮影の二本立てにしておかないといけないなぁ。。。
今日も波の高さ1.5メートルということで、釣りは回避。
来月下旬からの宇和島遠征を控え、無駄打ちは極力避けねば、という感じだす。
と、いう事で、今日は、黒鯛三平自分史C!!いってみまーす。
1999年3月20日、己では想像だにしていなかったサイズのチヌを手中に収め、陶酔しきっていたオイラだったが、釣りの神様はそんなオイラに試練を与えたもうた。
海は荒れ、肌寒い小雨がそぼ降っていたなか、目標は達成していたが更なる黒鯛を目指して釣りに没頭していた、オイラの足元を大きな黒鯛の魚影が見えた。
「!」
ターゲットは思わず大胆だ。これはまだまだいけるぞ!!と思った矢先だった。脳裏に一抹の不安がよぎった。
風とうねりで、黒鯛二匹を入れていたスカリがかなり波に洗われていたのを思い出した。
まさかとは思いながらも、スカリを入れてあった場所ま急ぐ。
スカリは相変わらず波で揺らされていたが、先ほどとは様子が違っていた。先ほどまでは、内容物の重量(40センチ級一匹と50センチ弱一匹でおおよそ3キロくらいはあったであろう)を必死でこらえながらギシギシと窮屈そうに揺れていたスカリが、いまは軽やかに舞う蝶のように自由に荒れ狂う波を泳いでいた。
これほどまでに愕然としたことが、それまでの人生、そして1999年3月20日から今に至るまであっただろうか?
振り返ってみるとこれほど愕然としたことは思い当たらない。いや、もう一度あった。飼っていた猫が死んだときだ。
猫の名前は「ガム」。20歳前後の頃にほんの少しの期間だけ飼っていた愛おしい猫だった。夜中に歩いてタバコを買いに行く途中(当時はヘビースモーカーだった)に、ゴミ捨て場で子猫の泣き声がした。無類の猫好きのオイラは頭のひとつでも撫でてやろうと、子猫の姿を探した。しかし、泣き声が尋常ではない。まさに「命の叫び」という感じだった。
その悲鳴にも似た泣き声は、どうもゴミの山の中から聞こえてくる。ごみを懸命にのかせると小さなゴミ袋の中から(当時は市指定のゴミ袋ではなかった)子猫は悲鳴を上げていた。きつく閉じられた袋の中に手のひらに乗っかるくらいの子猫が捨てられていた。ごみの中に一緒に入っていたガムの噛んだカスが毛に絡みまとわりつき、子猫は瀕死の状態だった。
オイラは懸命に看護した。ほとんど意識がなくなっていたが、毛にまとわりついていたガムをハサミでカットしている途中で、猫の足の皮を少し切ってしまった。フギャーと猫は痛がって、思い出すと今でも申し訳なくなるが、どうもそれが「気付け」になったらしく、意識を取り戻した。ミルクを与え元気を取り戻した子猫を「ガム」と名づけた。
当時、市営住宅に住んでいたので数ヶ月一緒に暮らしたが、規則が割とうるさかったため、ガムは祖母の家に引っ越した。祖母の家は線路沿いでガムは数ヵ月後に電車に引かれて死んでしまった。その知らせを聞いたときはかなり愕然とした。ただ、いまでもガムとの思い出はオイラの脳裏に深く刻み込まれている。
話を1999年3月20日の蒲刈の磯場に戻そう。
ばけしく揺られている空っぽになったスカリを水揚げしてみると、スカリのそこがスッカリ開いていた。閉じていた尻の部分が部分が重さに耐え切れず大きな口をあけていた。

思えば、3000円程度で売っていたスカリの値段を惜しんで、その横に申し訳なさそうに並んでいた安物の680円なりのスカリを選んでしまったオイラのケチさ加減が招いた大失敗だった。
翌日の結納で振舞うはずの、当時の自己最高記録を大きく更新した黒鯛と食べごろの40センチクラスの黒鯛は元気に海に戻っていった。彼女達の「生き運」がオイラの釣り師としての運を大きく上回ったのであろう。
想定外の黒鯛を釣ったという嬉しい現実と、スカリが破れてすべてが夢の中の出来事だったかのように消え去った。残されたのは破れたスカリだけ。そぼする雨の中、不覚にも声を上げて涙が出た。しばらく、おいおいと泣き続けてしまった。運が良いのか悪いのか、自分の置かれている境遇がたまらなかった。
釣りは誰に自慢するためのものでもなく自己満足の世界だ。己の記憶の中に確かに好敵手と渡り合い取り込んだ、という記憶さえあれば満足ではないか。とも、思わないでもなかったが、釣りを始めて一年にも満たなかったオイラとしては勲章が欲しかった。釣り上げたという実績がたまらなく欲しかった。また、翌日の結納の席でそれを披露もしたかったし、それがかなうと思っていた矢先、すべてが零れ落ち、崩れ落ちた。
小一時間ほど呆然としたが、なんとか気力を振り絞り釣りを再開した。さっきのやつらはまだ近くにいるはずだ・・・しかし。振り絞った気力を支えるほどの集中力を出せるはずも無く、さらにそれを裏付ける実力も無かった。そのまま何も釣れないまま渡船の迎えが来た。
10年前の蒲刈周辺のチヌ釣りの状況としては、いまより遥かにチヌの数も型も出ない感じだった。
当時は、チヌフカセ師の数もさほど多くなく、レベル、アイテム、情報もいまよりは劣っていたのかもしれない。
10枚釣ったら英雄、48センチクラスを釣ると「○○島の48」とポイントに名前がつくほどだった。年間にあがる50センチを越える「年無し」の数も渡船の客全体で2―3枚程度だった。それだけに逃がしたチヌはオイラの中でかなり大きな重石となった。
しかし・・・
なかなか、誰も体験しないような体験をした。今ではこの事が、その後数年のチヌ釣りを支えたと思っている。
結婚を前に、「何事も安易に安心してはいけない」「備えは万全としないといけない」「常に最悪の状況を予測し、いつでも対処できるようにしなくてはならない」といったことを学べた。
そして、「なんとしても、あのチヌよりデカイチヌを釣って今度こそちゃんと持ち帰る」という執念にも似た情熱を抱いた。
そんなこんなで、オイラのチヌフカセ道はここからスタートした。
正直、チヌに憧れを持っていた友人Nや会社の上司を出し抜いてやろう、という悪戯心程度で始めたチヌ釣り。シーバスのルアーフィッシングに憧れを持っていたオイラはそれなりの型を釣ったら、もうチヌ釣りはしないつもりでいた。
この事件が無く、無事に50センチ弱の逃げてしまった黒鯛を持ち帰り、魚拓をとり、結納の席で振舞うことが出来ていたら、チヌ釣りはそこで卒業し、違う釣りをしていたか、ゴルフでもしていたかも知れない。
それどころか、結果オーライ、ビギナーズラックを満喫し、世の中の厳しさや怖さを知らずに今とは違う人生になっていたかも知れない。それまでのオイラは安易で気楽な人生を何も考えずに進んでいた。本当に人生の変わった「分岐点」となった一日だったと思う。
そして、あのサイズをビギナーズラック以外で手にするには「上手くなるしかない」と気づいたオイラ。
正式にKさんに入門し弟子となり、「TEAM黒鯛」にも入部し腕を磨くことにしたのであった。
(つづく)





